秋吉、30歳おひとりさま

平成生まれのオタク、日々の記録

自問自答ファッション講座の振り返り①私が考える「かわいい」ってなんだ?

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9月中旬、スタイリストのあきやあさみさんにお会いし、自分に合ったファッションコーディネートについてマンツーマンでお話する「自問自答ファッション講座」を受けてきました。

 

↓あきやさんのアツアツなnote

note.com

↓今回私が受講したあきやさんとのマンツーマン講座(大変人気で現在満席)

www.jimon-jitou.com

 

「自分に合う服ってなんだ?」という悩みって、深く見ていくと、人によって千差万別です。

例えば「下半身が太くて何につけても下半身をカバーすることだけ考えてしまい服を楽しめてない」とか(これは私)、「自分に似合う色がわからない」、「コーディネートが苦手で毎シーズン新しいものを買い服がどんどん増える」など。

 

でも、これは薄々わかっていたことだけど、

「自分に似合う服」=「流行っている服」でも、「雑誌で書いてあるモテ服」でもない。
(一部は当てはまるかもしれないけど、完全なイコールではないということです。高1でやった数1A、円と円が重なるやつですね)

 

あきやさんの講座は、前述した個人の細かい悩みをひとつずつ解決していくというアプローチというより、
「そもそも自分はどうなりたいのか?」
というもっとも根本的な問いについて二人がかりで真剣に見つめ、結果として自分に必要な服を見極める、というものでした。

その見極めのために、割と長い時間をかけてじっくりと、色んなワークに取り組んでいきました。

そうすると、自分自身が考える「かわいい」「かっこいい」の認識にも、人の個人的な感性があることが浮き彫りになりました。

ワークで私がざっくばらんに話した内容をあきやさんがまとめてくださったので、大公開します。

 

■私が考える「かわいい」

かわいいものは好きだけど、
「かわいいね」と言われると自分じゃないなという気分。
「きれい」はTPOにきちんと合っている感じがして嬉しい。

いわゆる「かわいいものが好きな女の子」とは趣味が違うなと思っていたのですが、

一方で私の部屋には、シャンシャンの実物大ぬいぐるみとか、サクランボのネックレスとか、いわゆる”ガーリー”要素が強いアイテムが何個もあります。

時々すごくそういう気分に振り切れる瞬間があるんですよね。

恐らく、趣味が違うなと思いながらも、どこかで「かわいく」て「女子としてみなされている」女の子に憧れていたんだと思います。

一方で「きれい」というワードは、私の中では「清潔感」のイメージが強く、身だしなみがきちんとしていれば誰だって「きれい」だと感じます。たとえ厚化粧でもスッピンでも。

 

■私が考える「かっこいい」

「かっこいい」「仕事できる」「自立」は
とっても嬉しいし、目指したいところ。
最終的には「個性的」になりたいが
雇われているときは「かっこいい」を目指したい!

私にとって「仕事できる」→「自立している」→「かっこいい」は連結しているんですよね。
理想として刷り込まれていると言ってもいい。

最終的に個人事業主になるなら「個性的」と他から思われるべきだけど(個人のブランディングの意味で)、
「雇用されている」ときはその会社の一員としてブランドイメージに沿った格好でありたい。
だから今は仕事中に自分のパーソナリティをことさら主張したい欲はないけど、

就活用スーツだけは本当に生理的に受け付けなくて、あれが嫌でまともな就活しなかったぐらい。

自分の中での定義の細かさに気づきました。

 

■私が考える「癒される」

優しい、話しやすいはよく言われて嬉しいけれど
「平凡」や「普通」になりたくない気持ちがあるので
あまりカジュアルすぎると
つまらないかも…と思っている。

このワードについて感じたことを言うのが、ちょっと難しかったです。

努めて「優しく」「おだやかに」生きようと努力しているから、その頑張りが周りに伝わっているといいなという希望はあるけど、

元々我が強く、自分のプライドの高さが人を傷つける危険も自覚していて、
自分からは遠い言葉かもなと思ったのです。

その「とがった」部分は、「凡人になりたくない」ハングリー精神として、自分の成長の糧にする名目で故意に伸ばしてきたようなところもありました。

 

一方で、そういった競争心から解き放たれ、地球に生きるひとりの人間として、例えば無印良品のような「自然と共生し」「ゆるやかに」生きる人のことも、水瓶座の性質から尊敬しているんです。

(この水瓶座の性質は今度またゆっくり…)


だからそういうエッセンスを部分的に取り入れたいと思ってはいたけれど、
「癒される存在になりたい」わけではなかったんです。
後のワークで、これが自分の軸がブレている原因かもしれないと気づくところとなりました。

 

■私が考える「個性的」

自由や表現はとても大切だけど、
「個性的」「センスがある」と言われると
やりすぎは違うかな…とも思っている。 

「個性的だよね」って言われるときって、なんとなく「あなたって群れから外れた一匹狼だよね」という同調圧力みたいなのを感じる。

そもそも万人はみんな個性的なんだっていうマインドがあれば、他人に「個性的だよね」って言わないはずじゃないですか?「あなたらしいね」っていう意味合いでその人がその言葉をチョイスしてるなら話は別ですが。それだけじゃないニュアンスを感じることもある。

そして私は、自分の主張はしっかりあるけれども、「すばらしい才能を本来の場所で輝かせるプロデュースがしたい」のが私の一番やりたいことなので、
自分自身が輝きたいわけではないんですよね。

言うなれば参謀役がいいんです。(だから私は”二番手”キャラが好きになってしまう…)

 

こんな感じで、洋服の方向性を決めるのに、かなりじっくりと考えました。

あきやさんに色々と質問されながら自分の性格について話すのは、最初はちょっと恥ずかしいものがありましたが、
あきやさんがある意味でさらっと受け止めながらバンバン次のワードを聞いてくださるので、こちらも感じたままに答えられるようになりました。

 

この深堀りに真剣に取り組んだことで、次のワークが、すごくすんなり自然と進みました。

長くなったので次に続きます。